窯元雪舟焼

米原恭庵 石碑2019.11.01

最近、『石勝神社に有る「米原恭庵」の石碑の七言絶句を解読して紙に書いて欲しい。』と主人に依頼がありました。
同じ町内に居ながら、今まで石碑に目を留めることも無く、『米原恭庵』という方を知りませんでした。
石碑の文字はかなり風化していて読み取れない箇所も有り。医師会病院に資料の問い合わせをしました。
調べてくださり、古い本に原文の詩が載っていました。
又、ネットで調べると、石碑の説明文とほぼ同じですが、解りやすく載っていました。(masuda burogu)
米原恭庵の「自信」と「勇気」に学ぶ(益田市 染羽天石勝神社 内)
益田市の染羽天石勝神社内では、地元の歴史上の偉大な人物を知ることができます。

その人の名は「米原恭庵」。・・・皆さんご存知でしたか!?

米原恭庵は、江戸時代の医師で、嘉永二年(1849年)、彼が二十一歳のときに高角村(現高津町)で流行したという痘瘡(天然痘)に対し(下記の資料から判断して)おそらく日本人として初めて「牛痘」を施し、その被害を抑えたという方です。

まずは、社団法人 益田市医師会による米原恭庵頌徳碑(よねはらきょうあん しょうとくひ)

米原恭庵頌徳碑 益田市 染羽天石勝神社内
米原恭庵頌徳碑

 米原恭庵は若くして医学を志し、十七歳で江戸に上り西洋法内外科及び牛痘種法等を修学。二十一歳のとき当時の高角村(現高津町)で痘瘡(天然痘)が流行したため、私財を投じて五百余名の地元民に牛痘を施し、大成功を収めこの災疫から救った。

 ジェンナーの種痘法後五十年を経た嘉永二年(1849年)7月17日に、オランダのモーニッケが長崎で日本初の牛痘接種に成功しているが、そのわずか二ヵ月後に僻地に住む恭庵が新しい種痘法を実施したことになる。益田医師会は、全国に先駆け牛痘接種を断行し、防疫に貢献した米原恭庵翁の功績をたたえ遺徳を敬仰し頌徳碑を建立した。
右側後方の碑は恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる種痘記念碑である。

社団法人 益田市医師会

「右側後方の碑」、恭庵翁が自ら業績を刻み建立したといわれる「種痘記念碑」。

種痘記念碑 益田市 染羽天石勝つ神社内

米原恭庵石碑
染羽石勝神社 石碑 
益田医師会病院

私が米原恭庵に感じたのは(牛痘接種は)当時の段階ではおそらく「効果がわかかっていても、それ(新しいこと)を実行(行動)するには相当な「自信」と「勇気」が必要であっただろう!!」ということです。

【ことば】頌徳(しょうとく):徳をたたえること。

【時代】嘉永2年
「嘉永」は江戸時代徳川幕府時代の元号。ちなみに嘉永2年の4年後(嘉永6年 1853年)は、アメリカの東インド艦隊率いるペリー提督の来航があった。

といえば時代の雰囲気はお分かり頂けるでしょう。

【ジェンナーについて(ついでに調べました)】

 エドワード・ジェンナー(Edward Jenner、1749年5月17日 – 1823年1月26日)は、イギリスの医学者。天然痘ワクチンを開発したことで知られる。

 この時代、イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという方法がアラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった。

 ジェンナーが医師として活動していた頃には、牛痘にかかった人間は、その後天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった 。

 天然痘に比べると、牛痘ははるかに安全な病気であった。ジェンナーはこれが天然痘の予防に使えないかと、1778年から18年にわたって研究を続け、1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。

 少年は若干の発熱と不快感を訴えたがその程度にとどまり、深刻な症状はなかった。6週間後にジェンナーは少年に天然痘を接種したが少年は天然痘にはかからず、牛痘による天然痘予防法が成功した。一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。

 1798年、これを発表し、その後、種痘法はヨーロッパ中にひろまり1802年、イギリス議会より賞金が贈られたが医学界はこの名誉をなかなか認めなかった。また一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労したが、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したと言われる。しかしその後の天然痘の大流行を機にジェンナーの種痘法は急速に普及し、彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。

鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や鳥の渡りを研究した事でも知られている。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

※本題とはそれますが・・・ジェンナーといえば小学校のころに読んだ「わが子の腕に…」という超インパクトのあるキャッチコピーによる記憶があったのですが・・・

「1796年5月14日、ジェームズ・フィップス(w:James Phipps)という8歳の少年に牛痘を接種した。(略)
一部の伝記や偉人伝等では「自分の息子に試した」「フィップスはジェンナーの実の息子」と記述されている場合があるが、自分の息子に試したのは、この牛痘接種の7年前の天然痘接種であり、混同して言い伝えられているものである。(以下略)」

という事だったようです。(知りませんでした)

でも、ジェンナーの偉大な業績(結果)からして、誰の腕で実験しようと(いい意味で)どうでもイイこですよね。

恭庵の詩を書く(福郷 徹てつ)


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